PHAって何ぞや?
言わずもがな、ギークハウス創始者のPHAさん。
ギークとは、英語で「オタク」の意味で、近年はPCなどの高いスキルを持つ、偏屈だけども、その道の達人、みたいなそういった達観したものの意味合いもある。
つまり、秋葉原などにたむろしているいわゆる「オタク」とは本質的に違うのかもしれない。
好きなものを好きといって何がわるい!という人もいるだろうが、好きなものに依存して生きることと、好きな事に熱中して生きる事にはやはり大きな違いがある。
例えば、アップルの創始者で、スティーブ・ジョブスの無二の親友であった、スティーブ・ウォズニアック。
彼は偉大なギークの一人なのだが、彼がいなければアップル・コンピュータは無かった、と言われている。
もちろん、スティーブ・ジョブスがいなければアップルは成り立たなかったと思うが、スティーブ・ウォズニアックがいなければ、そもそも生まれていないのだ。
そういう意味ではウォズニアックは生みの親だと言えるし、ジョブスが会社を率いて世に広めた、と言われている。
つまり、卵が先かニワトリが先か、という話だが、どちらが無くとも成立しないのだ。
コンピュータが三度の飯より好きで、まるで子供のおもちゃのように愛しているウォズニアックは、会社が大きくなった後、ジョブスと対立するのだが、両スティーブはコンピュータ業界における象徴的な存在と言えるだろう。
ところでギーク・・・偉大なコンピュータオタクであるウォズニアックと、偉大なアーティストであり、カリスマ実業家であったジョブス。
華々しいという意味ではジョブスに敵う者はいないだろうけど、ウォズニアックの偉大さはもう少し世に広まっても良いだろうと思う。
・・・
話がPHAさん、とは大分離れてしまった。
PHAさんは本を出しているし、テレビのドキュメンタリーなどにも出ているので知っている人はいるかもしれないが、一応補足。
だるい
が口癖のようだが、本当にだるいのだろう。
どこにでもいるようで、実はいないタイプ・・・と言ってよいだろうか。
この現代という社会に偏在していて、しかし確かな存在感を示しているのは稀有な事なのじゃないだろうか。
よく「日本一有名なニート」と紹介されているけど、ブログや本の収入で生きていける人なのでもはやニートではないし、コンピュータのエンジニアというよりかは思想家、に近い人なんではないだろうか。
シェアハウスといえば今こそ広く知られるようになったが、一昔前は何かの宗教団体か、と訝しげに見られていた時期もあったらしい。
ギークハウスプロジェクトは、見方によってはPHAさんを教祖にした宗教団体、と見られなくもないかと思ったりしたが、日本においてはそもそも宗教というものがあまりよく理解されていないので、それらとの違いがよく分からない。
そういえば管理人のK氏が言っていたが、市役所に届け出を出す場合に、シェアハウスというのはやっかいな問題があるそうな。
・・・それはさておき、ギークハウスプロジェクトは宗教団体、ではない。
ギークハウスプロジェクトは、コワーキングスペースを提供するアメーバ的な組織と言えなくもないが、生活する場を与えているという意味では家入一真のリバティ、という駆け込み寺にもよく似ている。
そういった生活に困窮した者を救うプロジェクトがITという業界から出てきたのはとても面白い事のように思える。
めちゃくちゃ緩い組織かと思いきや、ガチのITエンジニア集団だったり、デザイナーの集まりだったり、ブロガーの集まりだったり、そういう本当に確かなスキルをもった集まりだったら面白い。
そう思うのだが、なんだか妖しい雰囲気があるのも確かなようだ。